「大勢の前で発表する機会はいずれくるんだ。練習しておくに越したことはない」
そんなことは分かっているけれども、常に一人で海を眺めながら日向ぼっこをしたい性分の私の耳に、そんな声は届かない。
大学の先生は何かと学生に大画面で発表をさせたがる。
新卒社会人を控えた猫への依頼
とはいえ、なぜ私が初投稿の記事で自己紹介もせずこんなことを言い出したかについては、説明が必要であろう。
私は、この春から社会という場所にほっぽり出される猫だ。新卒社会人として扱われるようである。
人の姿をして、スーツ着て、それっぽくして、しっかり猫をかぶっていれば(猫だけに)、社会人としてきちんと認定を受けることができてしまった。「内定」というものがもらえたのだ。
しかし、そのあとが問題だ。
社会人認定を受けたあと、「研修」というものに参加し、「人事」とよばれる者と戯れた。「戯れた」というと適当な人間言葉ではない気もするが、コミュニケーションをとったというにも、単にお喋りをしたというにも、どれもしっくりくる言葉が見つからない。とりあえず、いい感じの空気感で関わったということだけ伝えたい。
しばらくして、その「人事」とよばれる者から一本の電話があった。
「入社式で、新入社員代表のあいさつをしてくないか?」
「NO~!」
面白いことを言わねばならない使命感
ホントに即座にノーと言いたいところであったが、そこは人間らしく一つ二つ理由を並べて、お断りさせていただいた。
もちろん、猫である私が適任でなないというのはわかることであろうが、もうちょっとだけ別の理由があるのだ。
私は、大勢の前に立つと、めちゃくちゃ緊張してガクガクするか、何かしら面白いことを言わねばならない使命感に駆られるか、この二者一択なのだ。
特に、シーンとしているほど、後者に転びやすい。
会場のみんなは喉を傷めていて声が発せないのか、あるいは全員のど飴を支給されているのか、それくらいの静けさの中であいさつをしなければならない。
ということは、私は何か面白いことを言わなければいけないという使命感に駆られる可能性が、東京タワーくらい高いのだ。前者に転ぶ可能性もあるので、スカイツリーとまではいかないが。どちらにせよ、人事の問いに「YES!」と答えられるだけの鋼(はがね)のメンタルは持ち合わせていなかった。
かぶる猫の大きさ問題
この件で何を学んだかというと、自身が猫であるという自覚があるならば、猫をかぶりすぎてはいけないということだ。だけど、普段ぐーたら猫をしている私にとって、どのくらい猫をかぶればちょうど普通の人間になれるのかというあたりが非常に難しい。
まちがえてライオンみたいな、おおきく強そうな猫をかぶってしまうと、いずれ本物のライオンにおそわれて、首を食いちぎられかねない。だけど、ぐーたら猫を見せてしまえば、せっかく社会人認定を受けたにもかかわらず、野良猫に戻りなさいと人間社会を追い出されかねない。
この辺りが、むずかしいのだ。
人間社会は、とてもむずかしい。
(終)